私の誕生日は7月23日。約2週間前に誕生日を迎えた。今年で45歳になる。ブロガーたるもの、誕生日エントリを書かねばと考えつつ、気がつくと時間が過ぎていた。ようやく重たい腰を上げる気になったので、今あらためて書いてみることにする。
月並みな感想になるが、時間が立つのが早いということ。40歳になったのがついこの前のような気がしていて、友人たちに誕生日祝いをしてもらったのがつい先日のような気分だ。
ここからもう5年。気がつくと40代がすでに半分終わってしまっていた。
40歳になったときは、ついに40代突入かみたいな気持ちがありつつも、それまでと大きな心境の変化はなかった。これまでと同じ人生が続くのだという気持ちだった。強いて言えば、若い子たちからおじさんと言われても受け入れるしかないかもと思った。
だが、その抵抗も45歳になるとさすがになくなってくる。自分は紛れもなくおじさんである。
そして、そのことと同時に最近は新たな実感が生まれて来ている。それは、時間は有限であるという実感だ。
一応、私は読書術の著者でもあり、それなり数のビジネス書や自己啓発書を呼んで来てはいるので、いわゆるその手の本のお決まりのフレーズ「明日、死んでも後悔しないように生きる」みたいなことは目に焼き付くくらいには読んでいる。
多くの本を通してそれらを読んだところで、正直どこかそれは他人事のような気がしていた。
しかし、45を迎える今年くらいから、そのことをものすごく自分ごととして感じるようになってきた。それは、好きなことをやれる時間にも限りがあるを意味している。
いくら人生100年時代といわれてはいても、肉体的、精神的に満足に活動できる期間には当然限界がある。それに突然の事故や病気によって思うように動けなくなる突如訪れるかもしれない。
その時、私は後悔しないだろうかという問が頭の中をぐるぐる回るのだ。
自分に人生を振り返ると、生い立ちのせいもあり、自分の思い通りに生きるというよりも辛抱をして耐えて生きてきたという印象がどうしてもある。もちろん、そのことによって、今まで乗り越えられて来た苦境もあり、生き延びて来れたとも言えるので、必ずしもネガティブな側面ばかりではない。
しかし、やはりこのまま今の生き方で良いのか。もっとやりたいことをやらなくて良いのかという葛藤は自分の心の中でくすぶっている。
40にして不惑というが、45にしてさらに自分は生き方に迷走しているような気分だ。