世間では、何かとハラスメントという言葉が注目を浴びています。パワハラやセクハラ、なんていうのは当たりまえで自分の好きなものを相手に押しつけるのもハラスメントだと言われることもあります。
私ももちろん、ハラスメントに該当する行為を受けた経験がありますし、絶対に人にしないように注意しています。一方でマスコミなどで報じられるハラスメントの報道は、あれは駄目、これは駄目ばかりでどんどん言葉狩りをしている側面があると感じています。
そもそもハラスメントとは、相手との信頼関係が欠如していることが本質的な問題ではないかと感じています。
結局言葉は記号でしかない
世の中には、差別用語やスラングなど絶対に人に言ってはいけない危険水域の言葉というのが存在していて、どんな状況であってもそれを人に対して言うことは許されないことです。これらを不用意に口にしてハラスメントと言われるのはしょうがありません。
一方で、言葉にはグレーゾーンという部分が確実に存在していて、例えばテレビなどで芸人さんがいじられるのは果たして、ハラスメントなのかどうなのかということがしばしば話題になります。そしてこのことには明確な線引きはなく、最終的には本人がどう感じるかということにつきて来ます。
同じようなことを行ってもある人は不快に感じるし、ある人は注目を浴びて美味しいと感じる。この差は結局のところ、言葉そのものではなく、コンテクスト(文脈)から生まれるものなのです。
だからこそ、私は過度にこういうことをいったらハラスメントであるという議論は不毛なのではないかと感じています。
日本人は信頼関係を構築するという意識が低い
では、ハラスメントが生まれる温床は何かと言えば、信頼関係が構築できていないというそのひと言につきるのではないかと感じています。
私の感覚では、日本人は信頼関係を築くということに意識が希薄な人が多いような気がしています。
特にいわゆる身内と言われる人たちとの関係性の構築に関して意識が希薄なのでは感じています。ビジネスの上で取引先には丁寧な対応をしているのに、自分の部下には横柄な態度をとっている人というのは誰しも一度は出会ったことがあるのではないでしょうか。
日本人は、島国で自分が感じていることはみんな感じているという意識が強い民族性があります。だから身近な人に対しては、言わなくてもわかるだろという気持ちになり積極的に信頼関係の構築をせずに、自分の常識を相手に一方的に押しつけ、エスカレートした場合にハラスメントと言われるのではないです。
信頼関係の作っていますか
そんなつもりはないのに、ハラスメント扱いをされたと言っている人の多くは、その前提としての信頼関係の構築のところでつまづいているというのが本当のところなんだと私は感じています。コミュニケーションの大原則として「コミュニケーションの決定権は100%相手が持っている」ということがあります。
だからこそ、マスコミでやっているような「こんな言葉は駄目」みたいな議論は、あからさまにひどいものを除いては意味がないのではと感じています。コミュニケーションは貸し借りの部分もあります。多少失礼なことを言っても受け入れて貰える関係性があるかなのです。
結局のところ、当事者同士に信頼関係はあったのかというところにスポットを当てていかない限り前向きな議論はできないと感じています。
今日のアクション
身近な人との信頼関係を確認するってなかなかハードルの高いことではあるのですが、これからは日本人もそういうこと積極的していくべきではと感じています。