タイトルの通りなのですが、TVからB-CASカードを抜いて処分しました。我が家に10年前に購入した42型の東芝REGZAがあるのですが、これで地上派の番組を見ることは出来ません。なぜこんなことをしたのか。理由をまとめてみます。
東日本大震災の時から感じていたテレビの危うさ
テレビの危うさを私が明確に自覚したのは東日本大震災の時。被災地の映像を必要以上に移しているため、ずっと見ていると気分が必要以上に沈んできたのを覚えています。こんなに同じニュースを繰り返す流す必要性はないのにと感じて、テレビからラジオ中心の生活に切り替えました。
特に酷いのが朝のニュース。気持ち良く一日を始めたい時に、悲惨なニュースや芸能人のスキャンダルなどを流れてきて、一日その気分を引きずっている自分に気が付きました。これは良くないと朝にテレビを見るのを辞めたところ、かなり気分が軽くなったのを覚えています。
テレビの報道は、危機感を煽るほど視聴率が稼げます。衝撃的な映像を繰り返し流したり、過剰な演出をぅる割には大事な情報はほどんど流れていなかったりします。テレビは広告主がお客様。特に無料で視聴できる地上派は、視聴者は二の次だということを決して忘れてはいけないのです。
バラエティは好き。トーク番組も好き
私の周りには、テレビを持ってない人というのが結構いて、そのほうが日常生活に雑音が入ってこなくていいと言われていました。言いたいことは分かりますし、私もこれまで何度かそうしようかと考えてきました。
ただ、テレビ番組全てが嫌いかというとそんなこともありません。特にお笑いやアニメは好物で、最近でもお笑い第7世代の人達とかかなり応援しています。アメトークなんかも大好きです。アニメも昨年までジョジョに奇妙な冒険はリアタイで必ず見ていました。
それだけに完全にテレビを捨てるという決断までにはなかなか至りませんでした。テレビ番組の中には街がないなく秀逸なものもあるので、自分でちゃんと見る番組を選べばいいと考えていました。
メリットとデメリットを天秤にかけての判断
そんな私ですが、今回思い切ってテレビのB-CASカード抜いて、処分することにしました。B-CASカードを抜けば、地上派の番組を見ることは出来なくなります。さらにB-CASカードのICチップのところにハサミを入れてしまえば2度と地上波の番組を見ることは出来ません。
やはり、リモコンでスイッチを入れれば簡単に番組を見ることの出来るテレビは、どんなに気をつけて見ていないつもりでも、ちょっとしたタイミングでつけてしまい、いつの間にか生活に侵入してきて、少なからず自分の思考に影響を与えていると感じたのです。
今回のコロナ禍の報道にしても、危険、危険と煽る割にはきちんとした数字の内訳の分析をやっているところは皆無でただ日々の感染者数を流しているだけ。例えば、一日200人感染者が出たらそれがどの程度危険なことなのか、あるいはどの程度の予防が必要ないのかといったことを医学的、統計学的な見知で緻密に説明してくれているところはありません。
そして、それが分かっていても、なんとなく毎日そういう情報に触れていると、いつの間にか危険という感情に訴えかける部分だけが残っていて、冷静な判断を失って行く気がしたのです。
幸い今はTVerやAmazonプライムビデオなどで、バラエティやアニメの配信もかなりやっているので、もうテレビ番組を地上派で見れなくて困ることはそんなにない気がします。またお笑い芸人さん達がYouTubeにどんどん参入しているのも大きいです。
やはりこれからの時代はネットを中心に自分にとって必要な情報は能動的に摂取するという意識が必要なのです。
なお、テレビの筐体自体はFire TVをつないでネット配信の番組を見たり、オンラインヨガのために画面をスマホの画面をミラーリングして使うために残します。大型ディスプレイの代わりですね。
今日のアクション
長年やろうと考えていたことをやっと実行出来ました。
合わせて危機感を煽るようなニュースを意図的にプッシュ通知してくるニュースアプリも一通り削除しました。情報を踊らされることなく、きちんと自分で取り入れる情報を取捨選択していきます。