人の上に立つ人間は、経営者であれ政治家であれ、能力的に秀でており、配下の人間のことを気に掛ける素晴らしい人格者であるべきである。我々は、日本人は少なからずそれを期待しているところがあります。
だから、政治家が汚職をすれば大騒ぎになるし、職場でのパワハラは問題になります。ですが、時々こうも考えるのです。そもそも人の上に立とうとする奴にロクな人間はいないのではないかと。
そのように考えれば、様々な問題の見え方は変わってくる気がするのです。
リーダーに人徳が必要という誤解
自分自身の経験を振り返ったとき、人の上に立つ人間は下の人間に気を配る人格者であるべきという認識が、人生のどこかのタイミングで自然に身についていた気がします。それが、学校教育によるものなのか、それともアニメやゲームの中にある英雄譚の中から身についたものなのか、定かではありません。
だた、いつの間にか自分の中に理想のリーダー像というもの自然に出来ていたのです。
そして、それは私だけなく、多くの日本人の共通認識としてあり、そのような理想のリーダー像が心の中にあるからこそ、世の中の様々なリーダーの無理な要求に対しても、文句を言いながらなんだかんだで従う側の人が多いのでないかと考えています。
リーダーの役割というものは、多くの場合、おそらくはほとんどの場合に、じつははっきりしていない。リーダーが何をすべきかもはっきりしないし、そもそも誰がリーダーに最適任なのかもよくわかっていない。
ですが、本当はそんなリーダー像というのは存在しない。むしろ多くのリーダーは自分の配下の人間を都合の良いように利用する存在であると仮定すると、すんなりと納得できることが世の中に多いことに気がつくのです。
リーダーは嘘をつくものである
リーダーがそもそも誠実な人間ではないということを我々はなんとなく気がついているはずなのです。例えば、iPhoneを生み出したスティーブ・ジョブスは言うことがコロコロと変わる狂人であったことは多くの人が知るところです。
リーダーがたびたび嘘をつくのは、めったに罰せられないからである。なるほど、学歴などの経歴詐称でクビになったCEOやサッカーの監督はいる。だが多くの場合、とりわけ文句のつけようのない実績を挙げていたり、人々が信じたがっているような嘘だったりすれば、リーダーの地位が危うくなるような事態には、めったにならない。
例えば、夫婦別姓の問題を例に挙げると、その議論は私が小学校の頃にはされていた気がしますが、未だに何の進展もありません。
いつまでも議論がまとまらないと言えば、聞こえは良いですが、本当は最初から変えるつもりなどサラサラないのに、それだと選挙で票が入らないから表向きは議論しているフリをして、実際は絶対変えるつもりはないと考えるとしっくり来ます(実際はわかりません。あくまで例えばです)。
そもそも国際的な競争の観点で見れば、それは相手の虚をつく腹の探り合いのような点があるのはあたり前。むしろリーダーが嘘をつくものとして厳しく見るべきなのです。
いつの間にか自分で判断する力を奪われている
リーダーは優れた人間であるというこの刷り込みは、私も含め多くの日本人から自分で考える力というものを奪っているような気がします。
日本人は世界的に見ても幸福度が低いと言われますが、誰か偉い人が様々な問題を解決してくれるはずという意識があるからではないかと私は感じています。
ですが、世の中の状況を見る限り、多くのリーダー達はありらかに信頼できない状況です。きちんと自分で考えて判断していくしかないのは間違いありません。
結局、自分のリーダーは自分でしかないはず。自分の頭で考えて行動を選択していくしかないのです。
今日のアクション
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