最近私は友人と飲んでいるとよくモンハコさんは「愛されキャラ」だとか「いじられキャラ」だと言われることがものすごく多いです。私としては全くその自覚がなく、未だどのあたりがそう感じさせているのかあはっきりとはわかっていないところがあります。
実はこういうことを言われるのは初めてではなく、ものすごく既視感のある光景だったりもします。大学時代も親しい友人と飲んでいるときもよく言われていました。大学を卒業してもう20年近くが経つのにその当時と全く同じようなことを言われるのは、やはりそこに私の個性のようなものがある気がします。
以前、知人のカウンセラーの方とお話させていただいたときに「自分がわからなくなったら人の中に飛び込んだほうがいい」という話をされていて、なるほどと腑に落ちたました。
だたし、むやみやたらに多くの人と関わればいいのかというと必ずしもそういうことはなく、人と関わる上での前提条件がある気がしています。それは自己開示をすることです。
私自身は、この自己開示がものすごく苦手です。日本人にありがちな「こんなことを言っては嫌われるかも」というマインドが働いてしまうからです。ですが、この壁を越えないと自己開示はできません。そして自己開示ができなければ人との深い関係性を気づくのは難しいので、結果自分という人間がどういう存在なのかということも見えて来にくい気します。
私はブログを書いているときもいつも自分が無個性であることに苦しんで来ました。自分は空っぽであるという感覚がいつもつきまとっていたのです。
ですが、それは自己開示ができていなかったということなのかもしれません。
もちろん、内省する時間というのも大事なわけですが、煮詰まってしまうことも多い気がします。極論をいえば個性とは人との違いの中からしか生まれません。だからこそ、一人で悶々と考え込まず、でるだけ多くの人と関わことで見えてくるのではないかと考えています。
今週の気になっている本
ちきりんさんがブログで紹介していたので、気になって読んでみました。読んでいて感じるのは、自分の国のこと自分で全然わかってないということ。そして日本や日本人が海外の人たちどう見られているかも全然わかってないなと。
最近、海外で生活しているブロガーさんやこれから海外に移住予定のブロガーさんを集めて飲み会をしたのですが、やっぱり海外に住んで日本をみると全然違うのだろうなと。私は日本から出たことがないのですが、少しいろんな国にいってみたいという気持ちがわいてきました。
今日のアクション
私はこの歳になってようやく自己開示が少しずつできるようなってきた気がしています。よりよい関係性を関わってくれる人たちと築けたらいいなと考えています。