私あと数ヶ月で誕生日を迎えて40歳になります。私の場合、割と幅広い年齢層の人達とお付き合いさせて頂いておりまして、年上の友人も年下の友人もそれなりにいるので、普段あまり年齢を意識することはありません。
世代で人をくくるのでのも好きではなく「ゆとり」とか「さとり」とかくだらないなぁと感じいます。
そんな私ですが、多くの人と関わる中でなんとなく世代間の差ってあるなぁと感じるときがあります。
なんというか、自分の年齢のあとくらいを境目にして結構世代の感覚に大きな差があって、私は、古い世代の最後列にいるような気がするのです。別に明確な根拠とかエビデンスがある話ないですが。
そして私の少しあとくらいから価値観の全く違う新しい世代が存在している。そういう感覚があるのです。
いくつか要因は考えられるのですが、一つは日本の経済状況。私の学生のころは少し上の世代までが、日本が豊かだったころの余韻が残っていて、その背中を見ていたら自分たちが就職するときには景気が悪くなり、そこから経済全体がずっと下がり続けるという経験をしています。
ちょうど時代の分岐点で、上の世代と同じやり方が通用しなくなっているのに、ほとんどの人はそれに気付いているあるいは気付いていてもどうしいいかわからないという人がほとんど。逆に私より下の世代は、時代の変化に振り回されている我々をみて、対応している人が多くいたのではないか。そんな気がするのです。
もう一つの要因はITに関する環境。分岐点となったのはWindows 98の発売なのではないかと。よくマスコミで話題にされるのはWindows95のほうなのですが、Windows95の頃にパソコンを買っていたのはまだまだアーリアダプタの人達でパソコンが各家庭に1台ある状況を決定的にしたのはWindows98だった記憶しています。
このころに中学生や高校生だった世代は、一番多感な時期に生活の中にITがある状態なわけで。私はギリギリ大学で情報科学の勉強をしていたのであまり感じなかったのですが、そうでない人にとってはここに大きな溝があるのではと予想できます。
偶然かもしれませんが、いろんなコミュニティのイベントに参加しても、非IT系では一番年齢が下であることが多いですが、IT関連のイベントだと最年長のことも結構あるのです。
で、何が言いたいかというとちょっと自分の世代は損しているかもなという泣き言です。上の世代のように日本経済が右肩上がりだった恩恵を受けていない割に、下の世代に比べるとテクノロジーに対してネイティブな感覚もない。なんだかなぁという感覚があります。
当然、生まれた時代ごとに苦労というのはあって、個人によって事情も違います。ただ、そういう時代に生まれたという自覚自体も、今後どういう生き方をしていくのかを考える材料になるなと感じているのです。
今週気になっている本
落合陽一さんとホリエモンの対談本です。今後テクノロジーの進化によって、人の仕事は人工知能によって奪われ、仮想通貨などによってお金の概念さえも変わってくるかもしれない時代の中、どう働くかがテーマの本です。
もしこの本に書かれている通りの未来が来たら、また世の中の状況も大きく変わる。今社会に出たばかりの世代の人達は私のように自分のことを時代の節目の世代だったなぁと感じるのかもしれません。