随分と長いこと泣いていない。
日本の社会では、大の大人、しかも男性が泣くなんてみっともないという風潮は今でもあると感じています。泣くのをグッと堪えるのが男らしいと考えられています。
ただ、私の場合は泣くのを堪えるというよりは、そもそも泣けないのほうが正しいです。
感動的なドラマや映画を見て、心揺さぶられることはありますが、だからと言って涙が出ることはまずありません。心のどこかで「言っても映画」と考えているからなのか、それともそもそもそれほど感動していないのかよくわからないのです。
その他にも悲しいことがあっても涙まで出ることは、少なくともここ数年は確実になく、ここまで来るとなんか自分大丈夫かなと心配になってきます。悲しいことで泣けないのですからうれし泣きなど、遠い世界の話です。
子供のころを振り返って、小学生のころは毎日クラスの子とケンカをして負けて泣いて帰っていました。注射が怖くて、学校で実施される予防接種のときは、わんわん泣いていた記憶があります。
それが高校に上がる頃には全く泣いた記憶がないのです。
まぁ 無理に泣く必要もないのですが、あまりに泣くことがないので、ちょっと自分のことが心配になったりもします。
例えば身近な人に不幸があったとしても自分は案外泣けないのではないかとか、逆に嬉しいことがあってもそれを十分に感じることが出来ないのではないかと考えたりもするのです。
子供のころに泣き虫だった反動で、泣くことはみっともないことであるという感覚がすり込まれているのは間違いありません。
成長するにつれて、感情を表に出さないようにしようしようと意識して生きてきた結果、根本的に悲しいこと、辛いことあるいは嬉しいことを感じる感覚が鈍化しているのではないかと感じています。
もちろん、それは感情の起伏のない穏やかな人とも言えなくもなく、社会生活を送る上ではメリットもたくさんあります。
ですが、それは大きな悲しみもない代わりに大きな喜びもないということでもあり、果たしてそれがいいことなのかちょっと悩ましいところでもあるのです。
今週の気になっている本
本日参加した佐々木正悟さんと倉園佳三のコラボセミナーで心理学ジャーナリストの佐々木正悟さんが紹介していた書籍です。
セミナーの内容が予想していたものを良い意味で真っ向から裏切られる内容で、いろいろと考えさせられました。近いうちにブログでレポート記事を書いてみることにします。