もう少しオシャレになってほうがいいと私は友人によく言われます。
洋服選びにしても私の場合は、どうしても機能美優先で選んで、見た目はある程度後回しにしてしまいます。着心地はいいか、洗濯などの手入れは簡単かなどが優先順位が高くなりがちです。見た目は気にしなくはないですが、ある程度無難にまとめているというのが本音です。
それで言われるのが、冒頭のあの言葉です。
友人に言わせると、私は何かにつけて自分のことを後回しにしすぎだとのこと。
その他にも食べ物にそれほどこだわりが無かったり(豚骨ラーメンくらい)して、もっと自分のことを大事にして、たまには自分の好きな美味しいものを食べるといいよ言われます。
食べ物に関しても、基本的に好き嫌いがあまりなく、余程のものでないかぎりそれなりに美味しく食べられる人なので、食をないがしろにしているつもりはありませんが、見る人から見るとこれも自分を大事にしていないことになるらしいです。
もっと自分のことを大事にしたほうがいい
とないかにつけてアドバイスを貰うのです。
メンタル関係に詳しい人に言わせると、自分を大事にすることと、自己肯定感というのはかなり密接に関連しているらしいです。それは感覚的に私にもわかります。書籍などを読んでもよく書いてあります。
自己肯定感が低いのは自他ともに認める私のウィークポイントだったりします。
そして、私の自己肯定感が低いのは自分で自分を満足させていないからだと。もっとオシャレをしたり、美味しいものを食べたりして、自分を大事にするべきだと言われるのです。たしかに思い当たる節はあります。
その通りだと受け止める反面、素直に受け入れられない自分もいる。
では、なぜ私がそれが出来ないのか。
結論からいうと面倒くさいのです。私個人の感覚としては、洋服選びに必要以上にお金と時間と気力をかけたくないですし、1回3万円の高級店に食べにいくなら、3000円のお店に10回のみにいっていろんな人と語らいたかったりします。
正確に言えば、これは価値観なのかもしれない。自分の中で、洋服や飲食に飲食にお金を使うということと、自分を満たすとうことがどうにも一致しない。身も蓋もない話ですが、本当にそうなのです。
でもそうすると自己肯定感はいつまでたっても低いままなのでしょうか。。。
最近の私は、そんなことを考えながらモヤモヤしています。
今週の気になっている本
最近、愛と言う言葉がちょっと気になっております。男女の愛や親子の愛はもちろん、映画に対する愛がある人もいれば、Appleに対する愛が深い人もいるわけなのですが、それって何なのかなと漠然と最近感じております。
ひょっとしたら自分に対する愛が足りないからなかなか自分を変えることが出来ないのかもと最近感じるのです。