社会に分断が起こるのは日本のコミュニケーション力が低下しているからではないだろうか

明日は、参議院選挙。私も今回の選挙にはいろいろ想うところがあり、投票にいく予定です。

先日は、とても悲しい事件も起きました。正直、かなりショックを受けています。その事件の詳細はここでは触れませんが、その後に判明する事実を追っていく限り、日本社会の分断の象徴のような事件だと感じています。

分断とは異なる境遇、思想信条の人同士がもう全く相容れない状態になっていることだと私は解釈しています。

この背景に、政治的な問題、経済の低迷など社会構造の問題が大きく影響しているのは明らかです。当ブログではそんな大きなことは扱えません。

ただ、なんとなく世の中の空気を肌で感じる中で、日本人の全体的なコミュニケーション力が低下していて、それも悲しい事件が起きる一因になっている気がするのです。

特にその中でも、自分と異なる境遇や思想信条の人を尊重して接することが苦手な人が多い気がするのです。

例えば、賛否の分かれる選択的夫婦別姓や同性婚のような問題にしても、主張が異なる相手とコミュニケーションを取って議論を深める上では、異なる主張の人の話をじっくり聴いた上で「あなたの言うことは理解出来る。だが共感や賛同は出来ない。」というところまで持って行った上でないと、深い議論は出来ないはず。

だけれども、国会中継などを見ていればわかるとおり、自分の言いたいことを感情にまかせて相手にぶつけて終了している議員がものすごく多い。議員同士で分断が起こっているのだから、有権者のレベルで分断が起こるのは当然だと感じるのです。

また、少し前に日本人の中高年の多くは、会社を離れると友達がいなくて孤独だという記事が注目を浴びていたけれど、私はこの記事の内容も社会の分断の象徴だと捉えています。

自分と異なるバックグラウンドの人とうまくコミュニケーションを取れる人が少ないことがこの問題の背景にある本質のように感じるのです。

正直、もともと日本人は案外コミュニケーション能力が低かったのか、それとも近年低くなったのかは謎です。

ただ、以心伝心とか、察するみたいな言葉があるように、今ほど価値観が多様で無い時代は、実はきっちり周囲にことを理解しなくてもなんとなくでコミュニケーションが成立したのかもしれないと感じています。ですが、そのスタイルが時代に合わなくなって来ているのかもしれません。

私の記憶では、学生のころにコミュニケーションについて、きちんと学んだことはないのですが、このことは振り返るとあとから人生で結構損をしたなと感じています。

まずは、教育としてもコミュニケーションを見直すところから考える必要があるのかもしれません。

今週の気になっている本

普段、普通に働いているとこういう福祉の現場に目がいかないのですが、今回の記事で書いたように、自分と異なる環境の現場にいる人達に目を向ける必要性を感じて、本書を手にとっています。

今後はノンフィクションの本も多めに読んで行こうと考えています。