写真を本格的にはじめて4年目に突入した。自分で言うのも何だが、腕はそれなりに上達してきたと感じている。それなりの自信もついてきた。
それなりの期間、写真に真剣に取り組んでいるとその過程の中で様々な写真好きの好きと知り合いになる。写真というのは当然奥の深い世界なので、人それぞれに持論がある。当然のことだ。
最近その中でも感じているのが、ざっくり大きく分けて写真を好きな人は、大きく分けて2種類に分けられる気がしている。それは、良い写真というものにはセオリーがあり、方程式を立てることでそこへたどり着けると考えている人と、そもそも写真に答えなどないと考えている人だ。
言い換えれば、写真に答えがあると考えている人と、そんなものはないと考えている人だ。
こういう機材を使って、こうやってとれば良い写真と言われる写真が取れる。もちろん、ある程度はあるし、商業としてクライアントワークの中で撮影するなら絶対外せない点は確実にある。
しかし、作品作りという観点でみればこの考え方は危険だ。技術を学ぶというのは、自分のクセをなくすということであり、フォーマット化するということだからだ。これは写真に限らずすべてのクリエイティブに言えるのだろう。
そもそもセオリー通りにやればうまくいくのならば、お金と時間をかけたハリウッド映画などはすべてがヒット作になるだろう。だが、そうはならない。いくらお金と時間をかけて作ったものでも、すべてが人の心を打つわけではないのだ。
そこには、技術を超えた何か、情念のようなものが必要なのだ。
ここまで偉そうなことを書いたが、では自分が実際どうかというと、わかっていてもどうしても前者的な発送してしまいがちだ。
理系出身ということもあるだろうし、そもそもそういう性格だということもあるだろう。
いや自分の場合はそもそも、写真以外でもそういう考え方を知らず知らずのうちにしてしまっているところがある。どっちが正しいか、どっちが得でどっちが損か。そんなことばかり考えている気がする。
本当は、こっちのほうが楽しそうだからという理屈ではないところで、選択が出来るようになりたいといつも考えている。
きっとこの壁を超えられるかが、写真の上達とも関わってくる気がしている。写真は自分が何を見てきたかが如実に現れるとは、写真の師匠の言葉だがまさにその通りだ。