自分で言うのもアレなのですが、私自身はあまり育ちがいいとは言えません。実家は貧しかった上、あまり親から愛のある躾というものをされた記憶がありません。これは今もコンプレックスであると同時に、要所要所で人生を損をしているなぁと感じる部分でもあるのです。
本書は、立ち振る舞いや見た目、食事のマナーまで多岐にわたって書かれていますが、当ブログでは、コミュニケーションに絞って紹介することにします。
自分の口癖を知る
私が昔やりがちだったのが、相手の話を一旦否定してから話し始めるという話方。人が話終わった後に、「でもさー」とか「いや、しかし」みたいな感じで悪意は全くなく話始めていました。今振り返るとよくないなと分かるのですが、この話し方をしていたら人は周りに寄ってきません。
育ちがあまり良くない人(必ずしも経済的な要素だけではなく)の場合、結構人から肯定してもらってる経験が少なかったりします。だから自分も人の話に受け止める前に、軽い否定から入ることが多いのです。
私は、このクセに気がついたので、反応に迷った時は、「あー」みたいな伸ばす声を入れて、考える時間を取るようにしています。
「すいません」は使わない
育ちがあまりよくない人って、自己肯定感も高くない人が多いです。もちろん、私も。そういう人は、何かあるととりあえず「すいません」と謝ってしまうことが多いです。
ですがこのすいませんという言葉、謝罪だけでなく、依頼や感謝などどんな場面にも使えるため、どんな場面でも「すいません」と言ってしまい、結果自分の自己肯定感をさらに下げる形になってしまいます。なんとなくそう言う言葉を多用している人って負のオーラをまとってるような雰囲気があります。
安易にすいませんという言葉は使わず、感謝の場合は「ありがとうございます。」、依頼なら「お願いします」、もし本当に謝りたいなら「ごめんなさい」とか「申し訳ありません」ときっちり使い分けることが大切です。
うわさ話、悪口にのらない
人間はその場にいない人の悪口を言っている時に、連帯感が生まれて盛り上がります。共通の敵を作ったほうが結束が固くなるのは、国際社会でもよくやられている統治法です。
ですが、これちょっと引きで見るとものすごく心証が悪いですし、自分もいないところでは、あの人に悪口を言われているかもしれないという印象を与えます。
我々は聖人君子ではありませんし、時には誰か対する批判を共有したくなることはありますが、少なくとも自分と直接利害関係のないような人の批判を、人につられて安易にするようなことは絶対に控えたほうがいいでしょう。
素直さは良い育ちの証し
私くらいの世代の人は、テレビや漫画なんかで裕福で育ちがいい人ほど、正確が悪いという漠然としたイメージを植え付けられています。ですが、実際のところは逆のケースのほうが多いようです。
育ちが良い人(必ずしも経済的な要素だけではなく)のほうが、人の言うことを素直に受け止めることが出来るようです。確かに私自身のことを振り返ってみても、親身になって意見をもらったとしても、どこか言葉に裏があるのではと疑ってみたり、自分の考え方に固執して意見を受け入れられないことが多かった気がします。
育ちがよく見えるようになるのは、受け取り上手になることが重要なのです。
今日のアクション
正直、こういう本を読むことは未だのものすごく抵抗があるのですが、それと同時に理性で納得出来る部分もあり複雑なところです。私のように根本的に育ちが良くない人だと、なかなか全部変えるのは難しいのですが、知識として知って置いて損はない内容です。
心当たりのある方は、是非一度手にとってみて下さい。