あなたの中には沢山の人格がいる〜【読書レビュー】私とは何か 「個人」から「分人」へ

他人とのコミュニケーションを円滑にするには、なんといっても自分に対する理解が欠かせません。ですが、この自分という人間を理解するのはもの凄く難しいものです。妙に明るいところがあったり、一方で本当は人見知りが激しかったりと、自分のことをひと言で説明できる人というのも少ないはずです。

本当の自分はどれなのかと考えていると時に生きづらくもなりますが、その全てが自分と考えることが出来ればもっと生きやすくなるかもしれません。

私とは何か 「個人」から「分人」へ

読みながら共感する部分が多かったので紹介します。

自分とはどこから来るのか

好きを仕事にして自由に生きるとか、人の目を気にしないで自分らしく生きるなどとは今でもよく言われることです。私の友人には、実際そのような生き方をしている人もいて、羨ましいと感じる反面、そもそも自分が何が好きか分からないという葛藤が常につきまとっていました。

私はどちらかというとこれもあり、あれもあり、という風に物事を俯瞰的に見れる反面、何か一つのことに没頭するというのが苦手です。これは突き詰めて考えていくと自分が何者かよく分からないという葛藤にもつながっていきます。

ですが、本書では個人という概念は幻で個人とは分人の集合であると説いています。確かにそう考えると随分と気持ちが楽になるのは間違いありません。

一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。  個人を整数の1とするなら、分人は、分数だとひとまずはイメージしてもらいたい。  私という人間は、対人関係ごとのいくつかの分人によって構成されている。そして、その人らしさ(個性) というものは、その 複数の分人の構成比率 によって決定される。

自己とは他者との関係性の中で生まれる

私はこの歳になっても、一人で過ごすということが苦手です。自分一人でいると、どこか自分が空っぽになったような気がしてしまうのです。これは私が片親の上に一人っ子であったことが多分に影響している気がしています。

分人は、こちらが一方的に、こうだと決めて演じるものではなく、あくまでも 相手との相互作用 の中で生じる。キャラや仮面という比喩は、表面的というだけでなく、一旦主体的に決めてしまうと硬直的で、インタラクティヴでない印象を与える。

自分が自分だと認識している人は目の前の人との関係性の中で生まれます。人間の人格は、母親の胎内から5、6歳くらいまでの親との関係性で生まれると考える心理学もあります。何にしろ人の性格というものが他者との関わりの中で生まれるのは間違いないでしょう。

私のように自分の人格を形成する初期の段階で他者との関わりがうすいと、作られる分人の数は限られてしまいます。このことが、私の中で自分の精神的な不安定さを生み出していると私は感じるのです。

複数の自分を持てることで生きやすくなる

私たちは、 多種多様な分人の集合体 として、存在している。  誰に対しても、首尾一貫した自分でいようとすると、ひたすら愛想の良い、没個性的な、当たり障りのない自分でいるしかない。まさしく八方美人だ。しかし、対人関係ごとに思いきって分人化できるなら、私たちは、 一度の人生で、複数のエッジの利いた自分 を生きることができる。

私はブログ中で、ブログを書くのは楽しいと言っているのですが、これは私の中の分人が一つ増えたためだと感じています。ブログを書き始めたと同時にブログ繋がりでの友人が増え、結果としてブロガーとしての分人が育っていったと考えるべきしょう。

我々は、言行一致や裏表がないことを美徳として捉えがちです。ですが、分人の概念から考えるとこれは、必ずしも正しいとは言えません。もちろん、誰かを傷つけたり、騙したりするのは良くないですが、自分の中の分人を公序良俗の範囲内で使い分けるほうが生きて行きやすいのです。

人間には、いくつもの顔がある。──私たちは、このことをまず肯定しよう。 相手次第で、自然と様々な自分になる。 それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒臭がられるだけで、コミュニケーションは成立しない。  だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人 individual」ではない。複数の「(分割可能な)分人 dividual」である。

今日のアクション

世の中には、無理に自分らしさを演じているような人も結構いる気がします。よくありのままのあなたでいいというフレーズを聴きますが、本書はそれが具体的にどういうことなのかを説明してくれている本だと言えます。今の現状に生きづらさを抱えている人におすすめです。