ビジネスで成功したいなら美術館へ行ったほうがいい理由

このところ、古典文学とか美術とかそちら方面に興味が出てきています。単純に面白いというのもありますが、歴史的なプロセスの中で蓄積された美的な感覚や感性から学べることが多いからです。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)_

ニュースでなどでよく報道されている大手企業の不祥事は、その根底に意思決定に対する美意識が欠如しているからだと感じるのです。

論理的思考の限界

我々ビジネスパーソンは、数字を重視し、論理的に意思決定をすることを重宝されます。ですが、物事が複雑に絡み合い、予測ができない場面では、論理よりも直感力や感性など、意識決定者の美意識が重要になります。

私は、何か物事を決めるときに「正解は何か」と考えてしまうクセがあります。これは問題には唯一無二の正解が必ずあって、正しい答えを見つけなければならないという、受験勉強的思考法から完全に抜け切れていないということなのでしょう。

ですが、世の中の問題に唯一無二に解など存在するはずがありません。そのにあるのは価値観と強固な信念による意思決定のみのはずです。

フランスなど欧州では、答えのない問題に対する意思決定の訓練として哲学を必ず勉強するといいます。哲学なき、意思決定の判断基準は、ただ単に「損か得か」という利害のみによる二択なってしまうということを彼ら知っているいるのでしょう。

リーダーシップとは感性のことである

 

考えてみれば、もしセオリー通りに論理的かつ理性的に経営するのであれば、経営者やリーダーの仕事というのはいったいなんなのでしょうか?  もし経営における意思決定が徹頭徹尾、論理的かつ理性的に行われるべきなのであれば、それこそ経営コンセプトとビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいい。きっと冷徹に合理的な解答を導き出してくれるでしょうが、そこには人間の美意識や直感が介在する余地はありません。しかし、そのような乾いた計算のもとになされる経営から、人をワクワクさせるようなビジョンや、人の創造性を大きく開花させるようなイノベーションが生まれるとは思えません。

 

例えば私が身を置く、ITエンジニアの世界にプロジェクトマネジメントの標準というものがあって、マネジメントに関わる多くのエンジニアはそれを学んでいます。ですが、それをいくら学んだからとっていって、多くにプロジェクトが円滑に進むわけではありません。

結局のところ、状況判断や意思決定は人の感性が決め手になるからです。

日本の多くの企業では、組織の規模が大きくなると業務の平準化を行いできる限り誰がやっても業務を回せる状態を作ろうとします。ですが、業務の平準化は企業側にはメリットがありますが、労働者の側からすれば個性を奪われ働きがいを奪われる形になります。

このことが多くの日本企業から活力を奪い、革新的なサービスや製品を生み出せない理由になっているのではと感じるのです。

感性を取り戻すために

近年グローバル企業の幹部に対して、美術系教育をするビジネスが流行しつつあるそうです。

iPhoneはジョブスの美的センスから生まれました。日本のガラケーがロジックでオーバースペックな製品を作り続けた末にiPhoneに市場を持って行かれたように、革新的な製品作りには美的感覚が大切なのです。

ただ、そんな高度な研修を受ける身分でもない我々はどうしたらよいかということですが、私はできる限り多用な価値観を内包した作品をみることだと考えています。

幸い21世紀の現代にはインターネットがあります。興味があれば、 日本の過去の名作小説も電子書籍でただで読めます。都内であれば美術館にも気軽に行けます。動画配信で過去の名作映画を見るという手もあります。

とにかく、多様な作品に触れてみること、興味を持つことが肝心だと考えています。

今日のアクション

ブログで文章を書くようになって、文章を読むと言うことに関して目が肥えてきたように感じます。多くの作品に触れると同時にアウトプットも大事かもしれません。