苦手なことを潰して評価される?それって都合の良い人が欲しいだけでしょ

今週、ある人と話していてこの人と自分の価値観は根本的に違うので多分一生わかり合えることはないだろうなと感じたことがありました。それはその方が何がいってとあるひと言。

「できることと出来ないことがあったら出来ないことを潰したほうが周囲に評価される。」

その場はさらりと流して、過ぎたのですが。あとあと考えると多分この方と私は深いところで分かり合うのは永遠に無理かもししれないと感じ始めました。

いや、実のところ私自身もそう考えていた時期があります。周りに出来る人がいないなら自分が出来る人になればいいとか、幅広くいろんなことが出来たほうが周りから喜ばれる。

ただ、私の場合はそれを繰り返していった結果、一体自分が何が出来る人なのかが分からなくなって、かなり苦しくなった時期があり、その考え方を辞めました。

特にブログを始めてからは、個性や特徴を前に出して行かないと覚えて貰えないのでその傾向が強くなりました。

これは私の私見ですが、「できることと出来ないことがあったら出来ないことを潰したほうが周囲に評価される。」という考え方を自分にだけ適用しているうちはまだいいのです。私はその考え方で行き詰まりましたが、状況によってはうまくいく場合もあるでしょう。

ただ、それを人に求める場合というのは、結局のところ自分のとって都合のいい人を求めているだけだと感じるのです。自分を殺して苦手なことを率先してやってくれる人。それはそんな人が自分のまわりにいたらそれは嬉しいでしょう。

でも、人にはやはり得手不得手があって、なんでもできる人などいないことなどわかっているはずなのです。

そこをむりやり曲げて、求められるままに苦手なこともこなし続けた結果、身体やメンタルを壊してしまう人がいるのは間違いないと感じるのです。

ただ、日本型の働き方ではどうしてもこういう人が求められる傾向が間違いなくある。もちろん、若いうちはそういう経験も良い方向に働く可能性があるけれど、すっとだとマイナスにしかならないと感じるのです。

なんでもできるけど、何にもできない人の量産。この意識を変えないかぎり、日本の働きやすさは変わらない気がするのです。

今週の気になっている本

ブログ「No Second Life」の立花岳志さんの新刊です。かなり煽ったタイトルだなと感じつつも、好きとか得意を活かして働くということに関しては今の日本人のはこれくらい煽ったタイトルのほうが刺さるのかもしれません。

みんな苦手なことでもこなさないといけないという意識が強すぎるので。

今日のアクション

働き方改革って、このメンタリティを変えない限り出来ないだろうなとつくづく感じます。器用貧乏って結局良いように使われて終わるだけだと感じるのです。

Posted from SLPRO Z