ほとんどの成長はただの最適化である  

個人的な感覚なのですが、仕事で成長するという言葉に違和感を感じる方です。子供が成長するなら理解できるのですが、いい歳した大人が成長って何みたいに感じてしまう。

そもそも成長という言葉を定義する上で、私は汎用性という要素が重要だと考えています。 子供が大人になれば、多様な環境に適用できるようになる。これが成長と言えるでしょう。

一方で大人が社会に出て言う成長は特定の環境下において、仕事を出来るようになることで、案外環境が変わるとゼロからやり直しと言うことが多い。 果たしてこれを成長と言って良いのかと感じるのです。

おそらくここで言う成長とは、特定の環境に対する最適化であって成長とはちょっと違うのではといつも感じています。

以前読んだ本で、人間は実際成長していることよりも成長したと実感でできることが重要である書かれていました。結局、人間はいくつになっても成長したいものだし、そうであって欲しいと願う生き物なのでしょう。

人生の敵は退屈とマンネリです。それを打破するには日々の成長感を得ることが欠かせません。

ただし、最適化を成長と捉えていれば前に進んでいるようで同じところをグルグル回るだけで終わってしまう恐れもあります。たとえそれが成長という皮を被った最適化でもです。

「まだ、まだ。もっとやれる。」という目的なき成長欲求に振り回されてしまうと、終わりのないラットレースに巻き込まれてしまう可能性があります。

世の中には成長を謳うことで就労条件の悪さをごまかす企業も一部には存在するのです。そう考えれば、自分にとって本当の意味での成長とは何かを問うてみる必要はあるなと感じています。

今週の気になった本

私が主催しているしつもん読書会のフォーマットを考えられたマツダヒロミさんの書籍です。マツダさんはご自身のことを質問家を名乗ってコーチングの活動をされています。

自分の現状に対していかなる問いを立てるかで、未来は大きく変わって来ます。自分にとって大事なものは何かを見直す上で参考になる書籍です。