いくつになっても追いかけるモノを持っていたい

ここ数週間はサッカーのワールドカップの中継を夢中で見ていました。正直に言うともの凄いにわかファンで、ワールドカップのときくらいしかサッカーの試合は見ていません。ただ、今回の日本代表の試合は、そんな素人がみても純粋に楽しめる試合でした。

なにより良かったのが、日本のサッカーは世界の競合と渡り合えるかもしれないという可能性を感じることが出来たこと。これから更なる可能性を追いかけて行けると感じられたことでした(あくまでサッカーの素人の感想です)。

幸せの定義って、いろいろありますし人によっても当然解釈が違うわけですが、私は追いかけるモノがあるという幸せは確実に存在していると考えています。

今回の日本代表の試合にしても、ベルギーにあと一歩のところで負けてしまったけれども、もっとやれる、次こそはと見ている側が感じることが出来たことが大きいのではないか感じるのです。

究極的には

「今日より素晴らしい明日が来る」

と感じ続けることが出来ることが人間の幸せなのかもしれません。

ただ、年齢を重ねるごとにそれを感じるためのハードルは少しずつ上がっていくのも事実なのかなと。人間は遅かれ早かれ確実に死を迎えるし、肉体的な衰えは避けられません。サッカーの日本代表も今回平均年齢が高いことで随分パッシングを受けました。

なにか、新しい挑戦をするハードルも上がっていきます。

多分、流されるだけでいると目が死んだ大人になってしまうのかもしれない。そうならないためには、追いかけられるものを持ち続けることが必要だなと。

もうすぐ誕生日なのですが、そんなことを考えて最近はモヤモヤしています。

今週の気になっている本

リクルートの創業者江副浩正氏の生涯を書いた本です。私は江副さんっていうと、子供時にニュースでやっていたリクルート事件のイメージが強くて、政治家と悪いことしていた人というイメージが抜けきれなかったのですが、本書を読んで日本にはあまりいないタイプの凄い起業家だったと初めて知りました。

そして穿った読み方ではあるのですが、リクルートをいう企業を生み出したにも関わらず、社会から罪人として扱われ家族との仲も良くなかった江副氏にとって、それでも追いかけるものとはなんだったのだろうと考えてしまいました。