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自分が低ければ誰も傷つかないという幻想

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私は親しい人からよく自己肯定感が低いと言われます。まぁ 自分でもよく自覚はしていて、何をするにしても自分の意志というものの優先度を下げてしまいがちです。

あまり良いことではないというのみ自覚はしているつもりなのですが、なかなか自助努力だけでも変わらなく苦労しています。

そもそも、なぜこうも自分の自己肯定感が低いのか、いろいろと想い当たる節はあったりするのですが、結局自分が低い位置にいたほうが楽だからかなとも感じています。

子供の頃には、家庭が貧しかったのもあって、結構ないじめられっ子でした(今の言い方でいうといじられるに近かったかもしれないですが)。

毎日、家が貧しいことをネタにされて、それに反応して怒ってケンカをする。ケンカ弱いので負けて帰るみたいな生活をしているうちにどこかで、「貧乏だっていうことを認めてしまえば楽になる」という判断が働いたのです。

貧乏だと言われても、そうだよと認めてしまうことで、それが原因でいじめられることはかなり減りました。恐らく、これが自分を低くポジショニングする最初の体験だったような気がします。

自分の立ち位置が低いほうがトラブルは起きない

多分このときにすり込まれてしまった気がします。

その後も、自分に自信をもっているよりも自分の能力を低く見積もっているほうがうまくいく局面が人生では多かった気がします。

自分に力がないと考えているほうが、努力もする、油断もしない。
自分に力がないと考えているほうが、過度な期待もしなくても済む。
自分に力がないと考えているほうが、低姿勢でいられる。

逆を言えば、自分に自信が生まれれば、自分は謙虚さを失い、誰かを傷つけてしまうかもしれない。恐らく私の中で謙虚であることと、自己肯定感が低いことの境目がないのです。

もちろん、人間はそんなに単純ではないということも分かっているつもりですが、自分の中の感覚としてそういう部分があるのです。

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この記事を書いた人

累計16000部突破の電子書籍「《増補改訂版2020》本好きのためのAmazon Kindle 読書術: 電子書籍の特性を活かして可処分時間を増やそう!」著者。Kindle本総合1位を2度獲得。その他WordPressプラグイン「Sandwiche Adsense」を開発。「コミュニケーションの力で新しい価値を生まれる場を作る」をミッションに「モンハコ〜問題の8割はコミュニケーション」を運営中。