生きて行く型がないという感覚の話

私はブログの中では、ときどき自分は子供のころの家庭環境に恵まれなかったと書いています。別に不幸自慢をするわけでもないけれど、なんとなく自分が生きづらいと感じる瞬間というのは、そのことを自覚することが多いのです。

以前、書いたブログ記事をお世話になっている心理学ジャーナリストの佐々木正悟さんがご自身のブログで取り上げて下さいました、

「依存が難しい」という精神の難しさ – 佐々木正悟のライフハック心理学

この記事を読んでさすが佐々木さんだなと感じた次第でして。

実際に水に入って泳がなければ、泳ぎというものは決して上手にならないように、対人関係能力というのは、人と関わることでしか、習熟されません。

うまいこと表現するなぁと。

私は物心ついたときに父親はいなかったため、子供のころは経済的にかなり苦しい家庭で育ちました。子供のころから家庭環境をはねのけたいという気持ちは強かったように覚えています。

でも、まぁ大人になってとりあえず社会人として働くようになって、とりあえず自分一人が食べていく分には困らないくらいにはなり、これでめでたしめでたしかというと必ずしもそうではないと最近感じます。

もの凄く感覚的な話なのですが、自分の中にどう生きるとか、あるいは生きたいみたいな生き方の型がない気するのです。この歳になってすら、自分が何が好きで何が嫌いかがはっきりしないところがあるのです。

人間という動物は、関係性の生き物で特に親との関係性の中で自分の生き方、感じ方が決定されていく。恐らくは生物の発達の過程からみても、そうなのだろうということは想像に難くないです。

特に社会の関係性は父性から学ぶところが大きい。

多分、私の中にはこの部分が根本的に欠落しているとなんとなく感じるのです。

いくつになっても三角関数を学ぶことはできるように、いくつになっても対人関係能力を育むことはできるはずですが、三角関数なら一人でひっそり勉強できても、対人関係はそうはいかない。
依存の仕方などはたしかに、幼ければ幼いほど学びやすい環境にあっただろうとは、言えそうです。

自分の中に生きていく上で大切何かが欠けているとしら、自分はそれをどう取り戻したら良いのか。たまに途方に暮れることがあるのです。

今週の気になっている本

同じく佐々木正悟さんのブログで紹介されていた本です。こころの本質ってなんなのでしょう。気になるのでこれから読んでみます。