自分の誕生日会を自分で開く意味

先日、7月23日に誕生日を迎えました。昨年の誕生日は、40歳という節目でもあったのでSNSで募集をかけて自分で会場を借りてイベントを開催しました。

今年もそんな感じでやろうかなと考えたのですが、それなりに手間もかかるのでそこまではしていませんが、都合の付く友人に何名かに声を掛けて、誕生日会という名の飲み会を開催しました。

誕生日

今年はなんか無性に焼き肉が食べたい気分だったので、ホルモンの街亀戸へ。充実度の高い誕生日を送ることが出来ました。

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しかも参加してくれたお友達のヒトポンからSONYのワイヤレスイヤホンをプレゼント頂きました。確かに製品の紹介記事をみて欲しいかったので、SNSで欲しいって呟いていたのですが、まさか覚えていてくれたとは。本当に感激です。大事に使わせて頂きます。

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人によっては、年齢なんてただの記号だし誕生日なんて別にいつもどおりでいいという方もおられます。私も以前はまったく同じ考え方でした。元々、子供のころから家庭が誕生日に何かをするという環境ではなかったので、誕生日を特に意識したことというのは有りませんでした。

誕生日だからといって何が変わるわけでもないし、気がついたら過ぎている位が丁度いいと。若い頃は誰にも会わずにゲームをして終わっていたこともありますし。

ですが、歳を重ねるにつれて自分を大事にするという意味でも、節目をきちんとするという意味でも誕生日はきちんとお祝いしたほうがいいなと考えるようになりました。

年齢を重ねると誕生日で歳を数えるのが憂鬱だといういう人もいます。その気持ちもわからなくもないですが、その年齢まで無事に生き延びれたことに感謝すべきかもと最近感じるのです。

実際、自分の人生を振り返ってもひょっとしてあそこで判断を間違っていたら生きていなかったかもとか、全うな生活は送っていなかったかもという局面はあります。私は幸いこれまで手術をするような大きな病気の経験はありませんが、近しい友人の中にも若くして重たい病気を患った人もいるわけで。

そう考えると今こうして誕生日を迎えられるということに何かしらの意味があると感じるし、自分でささやかにお祝いくらいはしておいたほうがいいなと感じている次第です。

誕生日会に来てくれたとお友達の皆さん、ありがとうございます。楽しい日を過ごすことが出来ました。

今週の気になっている本

今週は時間があったので、久しぶりに溜まっていた小説を一気読みしました。普段はビジネス書ばかり読んでいるのですが、やっぱり推理小説は面白いですね。特に東野圭吾氏の作品は最後のどんでん返しがあって大好きです。