礼儀正しい日本人と多様性を尊重する社会は両立しない気がする

よく日本人の国民性を褒める時に、その礼儀の正しさや行列にきちんと列を作って並ぶなんてことが言われます。また、震災など大きな災害の時でも協力しあってパニックにならないことも海外からは賞賛を浴びたりしているようです。

一方で、日本はとても生きにくい国だとも言われていて、人と違うことをすることを徹底的に叩く文化があるし、自分の意見を主張する人を嫌う傾向が強いです。

ただ、そもそもこのよく言われる日本人のこのような良い点、悪い点は深いところでは同じ特性が良い方向に出ているか、悪い方向に出ているかの差でしかない気がするのです。

日本人が礼儀正しいのは、村社会で生きて行くためだし、人と違うことがするのが嫌いだからみんな綺麗に行列に並ぶのではないと感じています。

近年、もっと多様性を認めようと様々な場所で言われているけれど、そう考えると日本人が多様性をうけれ入れられる社会を作るのはかなり困難な道かもしれない。

よくテレビである、海外の人からみたら日本人ってこんなに素晴らしいと賞賛する番組は、裏を返すと日本社会の中での、いじめやマイノリティーの人へ差別をが助長しているかもしれない。

もっと根の深いところで、日本人の国民性とはどのようなものなのかをとらえない限り本当に多様性のある社会にはならないと感じています。

今週の気になっている本

25日から公開になっている映画「えんとつ街のプペル」の制作総指揮をとっているお笑い芸人キングコング西野さんのエッセイです。今ではすっかり一般に定着したクラウドファンディングという言葉を広めたのは西野さんでは間違いないでしょう。

本書の中で、西野さんは日本人はなぜ夢を追いかけている人叩くのかということについて、日本人の多くは、人生のどこからのタイミングで現実に折り合いをつけて夢を追うことを諦めている。だから、目の前に夢を追って叶えている人間がいると、過去の自分を否定することになってしまう。多くの人はそれが怖いから夢を追う人を叩くのだろうと書かれています。

正直、あーなるほどと感心してしまいました。そう、これをみなが横並びでないと怖いという日本人の特性から来ているものなのです。

でも、夢を追っている人を叩くのが正しいとされる文化に未来があるとは考えにくいです。日本人として、これまで素晴らしいとされていた特性を多少切り捨ててでも、挑戦者を受け入れる慣習を社会に根付かせる必要がある気がしています。