学ぶってことは孤独で面倒くさい作業である

私は、セミナーや勉強会に参加して、新しい知見を手に入れたり、人の繋がりを作ったりするのが好きです。ですが、このコロナ禍が始まってから、定期的に参加していたセミナーや勉強会の類いの数が一気に減りました。

こういうところに関しては、私は結構アナログで、直接会って話したりして得る情報を重視するほうです。オンラインに置き換えているイベントもありますが、やはりオフラインのほうがいいなと感じることが多いです。

だた、私のような人間は、いわゆるセミナージプシーのようになってしまいがちです。いろんな勉強会やセミナーに出ているけれど、それほど深く理解していないように見えたりします(少なくとも他人から)。

セミナージプシーになる人とならない人の差は何かというと、最終的に自分を孤独な状況において、新しい知識や技能を得る、面倒臭さと向き合っているかなのかなと私は考えています。

学ぶことは楽しい作業でもありますが、それと同時に孤独で面倒くさい作業でもあるのです。

もちろん、セミナーや勉強会は、きっかけ作りにはなるし、行き詰まった時などに人に相談出来ると言ったメリットもあるけれども、その合間合間にきちんと孤独と向き合って、学んだことを吸収していく時間が絶対必要になります。

極論言えば、自分を厳しく律することが出来れば、勉強会やセミナーなど必要ありません。ただ、私はそれが出来るほど精神的に強くないので、勉強会などに参加しているのです。

今、コロナ禍でそのようなセミナーやイベントが激減していますが、個人的にこの期間に、自分を律して研鑽を続けられる人とそうでない人の差は結構開くのではないかと予想しています。

オフラインのセミナーやイベントは減ったけれど、それに変わる優れた動画教材やサービスはあまたある状態になっています。それらを活用することは、ただ書籍で勉強するよりはグッとハードルは下がるけれども、それでもやはり学ぶことが孤独で面倒な作業であることにはかわりないと考えています。

ですが、コロナ禍の間にきちんと、自分と向き合って力を蓄えることが出来たかどうかは、このいつ終わるかが見えない状況が明けたとき、大きな差になって目の前に現れてくる気がするのです。

今週の気になっている本

最近よく聞く「SDGs」と言うキーワード。日本語でいうと「持続可能な開発目標」意味らしいのですが、分かっているようで、よく分かっていないのできちんと本を読んでみることにしました。

こういう言葉って、なんとなく雰囲気で使ってしまい、後から意味が違うことに気付いて恥ずかしい気持ちになったりしがちです。分かったつもりにならずに学んでみます。