当ブログは2012年1月からやっていて、来年の1月1日で丸10周年を迎えます。
10年も続けているとそれだけで、すごいですねとか、よく続きますねと言われることが多くなってきます。それはそれで悪いことではないのですが、書くことが当たり前になってちょっと日々のルーチンで書いている部分があります。
もちろん、習慣化という点ではそれは大事なことなんですが、なんというか、ブログを始めたころの熱量みたいなものが失われているなと危機感も感じております。
ブログだけでなく、人生のあらゆることに言えることなのかもしれませんが、ある程度なれて来て、技術が身についてくるとどうしても、はじめのころのような熱量でがむしゃらにやるというところから離れていきます。
だけれども、あらゆる表現活動において、結局熱量に勝るものってないなと。ブログを書き始めたころに、自分に気持ちをぶつけて書いたけっかバズった記事とかって、少なくとも今は書けないなぁと感じてしまうのです。
これはブログだけでなく、人生のあらゆることに言えるのでしょう。なんでも過去の経験、手持ちのスキルの範囲内から判断し過ぎてしまうとどんどん感受性が鈍くなって、新しい発見がなくなっていく気がするのです。
任天堂の宮本茂さんが、ダウンタウンの松本人志さんとの対談の中で、「大人になると技術を持つことが優位になるけれど、それを怪しく感じるようになった」という話をされていたことがあるのですが、まさにその通りだなと。
自分に中にある物事をいつも新鮮に感じれる気持ち、童心が経験によって成長しすぎないように努力するということが、経験を重ねても感受性を高めていくために必要なのだと感じています。
今週の気になっている本
最近、メディアなどでも見ることが増えた千代田区立麹町中学校長の工藤勇一さんの教育論についてまとめられた本です。工藤さんは公立学校で革新的な教育カリキュラムを次々に実践していることで注目を浴びています。工藤さんは「学校教育は手段が目的になっている」と警鐘を鳴らしています。
我々の世代のころくらまでは、割と教育といえば、知識偏重型で、あまり個人の感性とかは重視されていなかったように感じます。ただ、我々のころに比べても、必要なものが随分と変わって来ているとは感じます。
ただ知識や技能を詰め込み、感受性を無視する教育では、日本は立ちゆかなくだろうというのは、私の実感としても感じているところです。