他人の失敗を許容出来ないということ

自分で言うのもアレですが、私は心の狭いほうです。特に人に対しては、良くないと感じつつも割と厳しい目を持ってしまうほうではないかと。割と人の失敗や挫折を見て、心の底で考えが甘いんだよと考えてしまいます。

なんで、こんなに人に対して見る目が厳しくなったのかと考えると、結局のところ自分が子供のころに、失敗出来ない環境にあったからというのが原因だと感じています。

家庭が貧しかった上に、親が私に進路にまったく興味がなかったこともあり、私は高校受験も公立高校一本、しかも自宅から交通費をかけずにいける進学校を受験して受けるしかありませんでした。高校に進んだら進んだで、大学進学が当たり前の学校の中、当然選択肢は国公立のみ、浪人なども絶対出来ない状態。

ぶっちゃけ、私立の学校に通うなんて甘えた金持ちのすることだと子供ころは本当に考えていたし、塾通いをする周りに友人を見て、本気で頭の悪い人間のすることだと醒めた目で見ていました。

私は、運良く高校受験も大学受験もクリアすることが出来ましたが、主体的な選択をしたわけではなく、事実上そこしか選択肢がない中で選んだ進路でした。結果としては私はその受験や進学では失敗しなかったのですが、それは良かった反面、それどこか他者に失敗に対しても厳しい目をもってしまう心の狭さに繋がっています。

当然大人になって、いろいろな人と接するなかで、人それぞれ事情が違うこと、学歴なんていろいろある人のパラメーターの一つでしかないことは重々承知しています。それでも、思春期に身につけてしまったこの感覚は、年齢を重ねた今でも自分の中のどこかに確実に残っているのです。

時代状況を考えれば、今は失敗しないことよりも、いろんな挑戦をして、早く小さく失敗して、それを糧にそこからさらにステップアップするような生き方のほうが、多分いいのでしょう。例えば、学校にはいくに越したことはないけれど、合わないなら、別の道を模索できるし、会社に属さなくても身を立てる方法がある時代。

私はそういうことに理解をしつつも、どこかで良いよね失敗出来る環境のある人とか、そんなに世の中甘くないんだよという批判の目も向けていたりするのです。

何よりこの声自身が、自分にも向いていて生きづらさを感じる時があるのです。

今週の気になっている本

電通の働き方に関する本です。まぁ 電通はいろいろと働き方に関しては物議を醸した部分もあるのですが、あれだけ大きな会社だと、部署ごとにカラーも違うでしょうし、この本に関しては素直に面白いと感じました。個人のパーソナリティの部分を如何に本業の仕事に活かすかという視点で書かれています。

考え方的には複業本にも通じるところがありますが、組織の中で活かすという点は新しい視点でした。