人の承認欲求の総量は決まっているのかもしれない

ここのところ、どうにもブログを書きたいという気持ちが薄れています。

世の中はすっかり動画の時代になってしまいブログはオワコンという意見もある中、そういう空気感に自分も少なからず影響を受けてしまっているのかもしれません。

ただ、私にとってブログは自分を表現出来る数少ない場でもあり、大切な場所です。オワコンだろうがなんだろうが、必要なものではあります。

では、なぜここまで書きたい気持ちが薄れてきているのか。

それは、最近力を入れている写真によって自分の表現欲求がある程度満たされてしまっているのかもしれないと感じています。今は日々、撮影した写真をSNSで流すこともしれいるので、それによってある程度自分が満足してしまっている気がするのです。

そもそも人間の承認欲求というのは、人によって個人差はあるけれど、ひとりひとりの容量はある程度決まっているのかも知れないという気がしています。

それこそ、協力な承認欲求を持つ人というのは、芸能界で活躍したり、会社を興して世の中にインパクトを与えるような事業で成功するのでしょう。私はそういう人達に比べてそこまで承認欲求は強くないのかもしれません。

ただ、承認欲求を満たすためにひたすら高みを目指すという生き方は、時に諸刃の剣だとも感じています。

写真の世界でも、偉業を残した写真家は、プライベートはめちゃくちゃで不幸な人が多いそうです。まさに自らの承認欲求を満たすために、終わりのないラットレースを繰り返す人生になってしまうということなのでしょう。

その意味では、自分は人生で大したことは成していないけれど、割と人間関係には恵まれているほうなので、これでいいのかもしれないと感じています。自分の幸福を犠牲にしてまで、何かを成したいというほどの欲求はないのです。

ただ、そうはいいつつもブログは続けたいので、なんとかしないといけないのですが。

今週の気になっている本

承認欲求って、きっと人間の基本的な欲求の一つなのでしょうが、本当に振り回されるとやっかいです。本人は気がついていなくても、周りから見ていて酷いなぁと感じることがあるので。

自分の中の承認欲求を認識してきっちりつきあって行くことが大事だと感じています。